samedi 23 octobre 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (15)

ジャン・シャリーヌは、生物の発生、特に生物の遺伝と胎発生に古生物学を結び付ける「エボ・デボ(進化発生学)」と呼ばれる新しい領域に興味を持つ古生物学者である。この領域は、特にエドワード・B・ルイスにより発見され、その役割がウォルター・ゲーリングとデニス・デュブールにより解明された制御遺伝子(ホメオティック遺伝子と呼ばれる)に基づいている。このような遺伝子は生物の構築を制御している。したがって、ショウジョウバエのアンテナぺディア遺伝子の変異により触覚の場所に脚が形成され、他の変異では4つの翅を持つハエができる。

さらに、ショウジョウバエの目の形成を制御する遺伝子(eyeless)はマウスにも存在する。マウス由来のeyeless遺伝をショウジョウバエのゲノムに導入すると、ショウジョウバエの目が形成されるのである。シャリーヌは新たに見つかったこのようなメカニズムに基づいて全体的には漸進的でない進化の見方を発展させ、自然選択の作用の下に飛躍と漸進的進化の共存があることを示している。古典的な「働き手」と呼ばれる遺伝子がミクロ進化の原因になる(これらの遺伝子の変異は構造的にはそれほど大きな影響を及ぼさない)のに対し、マクロ進化は制御遺伝子の変異に由来するとシャリーヌは考えている。彼によれば、このような新しい方法により前述のリチャード・ゴールドシュミットの概念と後述するピエール・ポール・グラッセの概念の一部が復権されることになる。

しかし、彼の最も独創性のある仕事は相対性理論とフラクタルの専門家で新たな相対性理論の提唱者でもある宇宙物理学者ローラン・ノッタルと経済学者のピエール・グルーと共同で、進化にフラクタルの構造が存在することを明らかにするためにこの新しい理論を進化に応用しようとしたことである。彼らの共著の本(「進化のサイクル」)やフランス科学アカデミー紀要に発表した論文(「生命の樹はフラクタル構造を持つか」)では、生命の進化だけではなく宇宙や人間社会の進化をも支配しているように見える生命臨界システム(life-critical system)の進化の法則(対数周期 log-periodic の法則)を用いている。


dimanche 16 mai 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (14)

ロジーヌ・チャンドボアは、生物の発生はDNAにコードされていないと考えている。彼女は発生学者として、設計者は卵子の細胞質で、DNAは彼女の喩えによると木やコンクリートなどの建築に使われる材料を決めているに過ぎないことを示す実験を指摘した。

これらの概念は分子生物学の全能性に逆らう戦いと言えるもので、アンドラス・パルディ(Andras Paldi)のような若手研究者の研究にその確証を見ることになった。彼はこう言っている。「次の遺伝学の革命で問題になるのは、生物の生化学的反応の途轍もない複雑さに占めるDNAの場所を新たに与えることである。生命の進行を支配する独裁者としてDNAをあがめ奉ることは最早ないだろう。・・・私は遺伝学の発展の最後の段階に来ていると信じている。それは20世紀初頭に始まり、全能の遺伝子という主要な概念により特徴づけられる。その概念によれば、遺伝子は生物の発生に必要にして十分な情報を持っているとされるが、この説明の図式では観察される遺伝現象を次第に説明できなくなっていると皆気付いている」。同時に彼は「導かれた」偶然についても語っている。

ロジーヌ・チャンドボアにとっての進化とは、原始細胞から複雑な生物に至る胎発生のイメージに沿うように始めから展開されるプログラムである。「発生の遺伝プログラムは生物学者全体の想像の中にだけ存在する。・・・彼らのすべての研究は同じ結論に至る。すなわち、発生のプログラムはDNAに書かれていない、というものだ。それは卵子の細胞質に含まれており、特定の分子組成と適切な構造を持たなければならない。換言すれば、DNAは何ものにも指令を出すことはないし、もちろん設計者ではない。しかし、構造のための材料を作るので、生物に独創性を与える。・・・生命の樹は、木がもっぱら内的因子を介して、種子から作られるのと同じように原始細胞から作られた」。

彼女はこの点でマイケル・デントンとレミー・ショーヴァンと似ているように見える。しかし、違いがあるのは、彼女が進化に内在するプログラムは卵子の細胞質に作用する内的因子によると考えている事実である。もちろん、これらの考えは極端であるが、遺伝子よりはエピジェネティックの役割を強調する現在の傾向は、これが非論理的だとは言えないことを示している。


samedi 15 mai 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (13)

(photo source: Biological Evolution)

アン・ダンブリクール・マラッセ(国立自然史博物館前史部門CNRS研究員)の研究は、一般的な進化のメカニズムと同様に霊長目の進化の間で起こる過程の性質についての重要な議論をフランス国内で巻き起こした。彼女の仕事は二つの発見と一つの理論に分けられる。最初の発見は、頭蓋基底部の屈曲が神経管が巻かれることと関係すること(図10.5参照)、そして最初のヒト科で起こった直立化の程度は、信じられているような二足歩行に喚起されたものではなく、神経管の巻かれ方の増強によることを示したことである。


図10.5 二足歩行の新たな理解
神経管の屈曲が 「頭蓋顔面収縮」を引き起こし、体を直立にする


神経管が胎生初期に巻かれれば巻かれるほど、屈曲が益々重要になる。この過程は頭蓋基底部と連絡する組織に反映される。これらの緊張は、われわれのすべてが顎の結合に小さな空隙を出現させており、現在のどのサルにも見られない。それはアウストラロピテクスから出現するもので、それ以前にはない。

これは各自が確認できる客観的な事実であり、首をより垂直に伸ばし顎骨を後退させたヒト科の出現の理解にとって極めて重要になるものである(われわれが反復により成人になると額の下の位置に歯を持つ唯一の霊長類であるのは、頭蓋底部の収縮と顔面の後退という現象による)。

もし第一の発見がわれわれの姿勢と垂直性が胎児期に由来することであれば、第二は化石に関するものである。人間の祖先の頭蓋を3次元で計測すると、現在及び化石の霊長類は自動的に6つのグループに分けられ(図10.6参照)、それぞれは胎児期の収縮のひとつの安定期に対応している。


図10.6 われわれに至る6段階
生命の進化における方向性と非漸進性

成長の程度、角度、軌道をもとにしたこれらの発見から、アン・ダンブリクール・マラッセは人間に導いた形態学的進化の数学理論を書こうとする。この進化は反復する連続的傾向を示すが、その効果には非連続性がある。胎生期の収縮の一つの安定期から中間的な時期を経ずに新たな安定期へ移行し、それぞれの安定期は「基本的個体発生」と呼ばれるものに対応している。

原型という概念に近い「型紙」、「パターン」についても語られる。型紙はある限界を超えない範囲で変化できる(丁度、セダン型自動車が基本型を保ったままクーペにもステーションワゴンにもなるように)。そして、この型紙の内部における進化は漸進的で、ダーウィン主義的で、偶然による。逆に、そして厳密なパラダイムとは対照的に、これは類人猿とアウストラロピクテスの間で見られる進化の形ではなく、以前の組織図の改定による新たな胚発生の出現なのである。

この過程の記載を可能にする角度の変化を数値に置換すると、角度は常に同じ方向に進化することがわかる。すなわち、より重要な神経管の巻き込みと常により顕著な中枢神経系の複雑化を伴った「顔面・頭蓋の収縮」で、体は益々垂直になり、その均衡が益々複雑になる。

6000万年の距離を置いてみると、内部に由来し、遺伝によって伝達される頭蓋の内側から読み取れるする一つの過程が浮き上がってくるのがわかる。もし環境のおびただしい変化が種に働くとしても、この基本的な内部の過程を変えることは絶対にない。アン・ダンブリクールの貢献は、進化において作用している必要不可欠な過程は自然選択とは関係ないことを示したことである。この進化は指数関数的に加速しながら進むことになる。新しい個体発生の出現は、そこから派生するものが出現するのに要する時間より短くなる。

アン・ダンブリクールは内的性質を感知する内的論理(彼女は量子由来であると考えている)が存在すると結論する。それは唯一の作用主体が環境により齎され、変異した遺伝子に作用する自然選択である新ダーウィン主義のモデルでは説明できない。これが彼女が大進化(ある型から別の型への移行を可能にする)と小進化(ある型の中で起こる多様な適応)を常に区別してきた多くの科学者に加わる理由である。

このような統合することにより遺伝学を超える発見と知識から組み立てられた理論は、新ダーウィン主義の3つの基本的な主張に反対の立場を取る。第一に、進化とは予測不能な現象に従うもので、「記憶」はなく、以前に起こすことができた進化に影響されることはないこと、第二に、進化の過程で解剖学的変化を選択するのは基本的に環境の変化であること、そして最後に、これらの変化は漸進的であるという3つの考えに反対する。

しかし、新ダーウィン主義の不完全さを示しながら、このアプローチは、敢えて言うならば、進化が実際に起こっているところを見ることができる最良の証拠になっている。

dimanche 14 mars 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (12)

3. 内的論理

(photo source: Réflexions sur trois points)


レミー・ショーヴァン(ソルボンヌ大学名誉教授)は動物行動学者である。社会性昆虫のフランスにおける最高の専門家の一人である。ジョン・ピヴェトーのような重要な古生物学者やピエール・ポール・グラッセのような主要な動物学者により守られてきたフランスの伝統に従い、彼はダーウィン主義と自然選択の全能性に対して批判的であり、動物行動の専門家としては、特に社会生物学に批判的である。

ここに彼特有の挑発的なスタイルで書かれたショーヴァンの考え方をまとめてみたい。

「― 生命は、安全のための膨大な余力、非常に幅広い環境の変化に対する著しい適応性、そして同じ問題に対して同様の機能性を持つ複数の解決法によって特徴付けられている。
 ― 適応が限られていることは死を意味する。臓器の手の込んだ特殊化は、必要なく発達した芸術のための芸術にしか過ぎないことがしばしばである。
 ― 有機的な仕掛けが有用なのが有害なのかどうか、それがどの段階までなのかを知ることは、例外を除いて不可能である。
 ― 複雑な仕掛けが存在するあらゆるところで、機能的に劣ることがないように見えるより単純なものをしばしばすぐそばに見つけることができる。
 ― 進化は無限に異なり得る手段ではなく、達成すべき目的に興味がある (例:翼と飛行)。
 ― 新ダーウィン主義は、敬虔な精神しか満足させることができないトートロジーの集合に過ぎない。
 ― 環境はほとんどどんなものでも認め、大したことをしない。非常に極端な稀な例においてのみ選択の力を発揮する。
 ― 非常に異なった生物において、心理現象の一段上の状態がすべての連絡網を可能にし、その頂点に到達する。
 ― この過程の一般的なやり方は、すべての動植物において方向は定まらないが両者を結び付ける意志に似ている(例えば、蘭とそれを受粉するスズメバチ)。この目的論に注釈を加えるべきではないが、どのようにこの方向の定まらない意志が働いているのかを探るべきである。実験が可能である」

ショーヴァンは、ダーウィン主義により適応の頂点として提示される非常に複雑な解決法が近縁の生物では同様の機能を果たす非常に単純な解決法と「競争させられる」原則をほぼ法則のように仕立てあげる。他方、彼は自然選択が明らかに環境にうまく適応していない動物を排除しないことを指摘し、自然選択に全能性を与えるダーウィン主義の説明に一貫性がないことを主張する。ショーヴァンは明らかな目的論者であり、「合目的性は生物学者が公衆の面前では一緒にいるところを見られたくないが、それなしには済ますことができない女性である!」と言ったピエール・ポール・グラッセを批判する稀な生物学者の一人でもある。

彼にとっての進化は、内にあって進行するプログラムに対応している。しかし、それは単純な論点先取の不当性には当たらない。第一に、彼はそのようなプログラムの存在を明らかにできる実験を提案している(これについては第12章でも触れる)。第二に、彼の目的論は、自然の観察、進化は「後ろに戻ることがない」という事実、その根本にある傾向が昆虫、鳥、蛸、哺乳類における心理現象の広がりと同じく、あたかも何かが自らの実現を願うように表れるという事実から出発している。彼はダーウィン主義はトートロジーである(適者生存と言うが、誰が適者なのか?それは生き残った者であるという論理)とするトム・べテルがアメリカで発展させた考えを再び取り入れるのである。





lundi 8 mars 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (11)

2. 自己組織化

(photo source: Transition Towns WIKI)


ブライアン・グッドウィン(放送大学生物学教授)はスチュアート・カウフマン以上により複雑な構造の出現は生命の創発の性質に因るだろうと考えている。「1859年以来、自然選択と適者生存のメカニズムが地上の生命を説明する唯一の命題であるとされてきた。その起源、絶滅、適応はすべてダーウィン主義の視点から研究されてきた。しかし、種の起源や多様性を説明する他のやり方は存在する。ニュートン的世界の見方が20世紀のアインシュタインによる革命まで支配的であったように、ダーウィン主義は複雑性は生命に内在する創発の性質で、必ずしも偶然による変異と自然選択の結果ではないことを認める新しい理論に置き換わるはずである。生物は競い合うと同程度に協調し合い、利己的であると同程度に利他的で、破壊的で反復的であると同程度に創造的で遊びを好む」

ブライアン・グッドウィン自身はダーウィン以前の理性的な形態学者やダーシー・トンプソンについて触れ、さらにゲーテの復権とより質的を重んじる科学の発展を願うとまで言っている。


(photo source: Antropología, genética y cultura)


メー・ワン・ホー(放送大学生物学講師)も自己組織化の多くの支持者だけではなくマイケル・デントンと同じように、すべての還元主義的方法では捉えきれないものとして生命を見ている。「生命は全体が組織される過程である。生命は過程であり、ものでも物質の性質でも構造でもない。このように生命は生物が生き、成長し、発育し、進化するように物質とエネルギーがダイナミックに流れる中にあるはずである。したがって、『全体』とは分離されたモナドのような実体ではないことがわかる。それは自己構築と自己組織化される環境に開かれたシステムであり、外の環境に開かれ、その潜在能力が高度に再生可能な安定した形態の中に取り込まれることにより可能になる」

ここで最も重要な言葉のひとつが創発である。複雑な形態は、それが潜在的、仮想的なものであれ前もって存在するものは何一つない。複雑な形態は生命の過程から創発する。なぜなら、この創発を可能にする過程は自然そのものの中にあるからである。メー・ワン・ホーとブライアン・グッドウィンは明らかにスチュアート・カウフマンよりダーウィン主義から離れたところにいる。彼らはダーウィン主義のメカニズムが進化において主要な役割を担っていないと考えている。より複雑な形態は、選択ではなく自己組織化により自然の中に創発するのである。

哲学的レベルにおいて、自己組織化の支持者は少なくともヨーロッパでは汎神論かアニミズムに関連すると見られている。それは、この学派の科学者の大部分が汎神論的な考え方(あるいは、フランシスコ・ヴァレラのような仏教の考え方)を持っているからであり、創発の概念はアリストテレスにより与えられた意味における 「第一の動力」 や初めて創り出すためのすべて外在性を必要としなくなるからである。しかし、何人かの神学者や哲学者(ニールス・グレゲルセンやフィリップ・クレイトンなど)は、特にホワイトヘッドに触発されたプロセス神学に依拠して、創発や自己組織間についてのキリスト教的概念を展開しようとし、またこの領域における複数の考え方の存在を主張するために、テレンス・ディーコンのような汎神論の自己組織化の支持者と戦っているのは注目に値する。21世紀に自己組織化が重要なパラダイムとして避けられないことを考えると、二つの概念が近づくことには問題がありそうだが、そこにキリスト教が不在であることを彼らは望んでいない。