lundi 1 mars 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (8)

(Photo: Dudley Simons)

サイモン・コンウェイ・モリス(ケンブリッジ大学教授)は、現在最も重要な古生物学者の一人である。彼もまた自然の中で作用しているのはダーウィン主義のメカニズム以外にないと考えており、自らをダーウィン主義者と見做している。しかし、彼はこう主張する。 「本書の主な目的は、進化に影響を与える拘束と多くの『収斂』の現象の存在により、われわれのようなものの出現がほとんど必然であることを示すことである」。コンウェイ・モリスの言う収斂は、進化の中で多くの経路がほとんど同じ結果に至る事実のことである。もし鮫、イルカ、プレシオサウルスのような海竜が同じ形をしている(泳げるように形を整える方がよいのだ)のが当然だとすると、共通祖先が目を持っていないにもかかわらず、蛸と人間が網膜の方向を除き類似の構造の目を持っていることや、オーストラリアのある種の有袋類が有胎盤哺乳類の中で対応するものと全く同じ頭蓋を持っている理由を説明できない。

「収斂」の例を増やすことにより、コンウェイ・モリスはダーウィン主義者の主張とは異なり、生物学的に可能なすべての形の総数は限られていること、そしてこの限界が進化に対し非常に厳しい拘束を強いることを示そうとする。「現在のコンセンサスは、それぞれの種は偶然による過程の結果であること、そして非常に多くの可能性があり、それはおそらく銀河系で居住可能な惑星の数よりずっと多いことである。このような考え方によると、ある惑星の住人が他の衛星の住人と似ていることはあり得ないだろう。進化論の収斂という現象は逆に選択の余地が厳密に限られていることを意味する。・・・もしそれが正しいとすれば、進化が特定の機能的な解決に向けて『操縦』するやり方は、生物学のより一般的な理論の基礎を提供する可能性がある。このアプローチは進化の軌跡を安定した機能的な形態に導く『引力』にも似たものの存在を前提としている」。

そして彼は私は重要な点だと考えている点を主張するところまで行く。「私は、このような研究プログラムが生物学の最も深いレベルを明らかにすると考えている。そこではダーウィン主義による進化が中心的な概念であり続けるが、可能な限りの機能的形態はビックバン以来前もって決定されている」。

ビッグバン以来、可能性のある形として機能的形態が前もって存在すること、生物学における新たな理論の必要性、進化を導く引力のようなものの存在、人間に似たものの必然的な出現。これほど新ダーウィン主義から離れた考え方を現代の最も重要な古生物者の一人が擁護しているのを見るのは異様である(何という皮肉か、彼の仕事はグールドの著作「ワンダフル・ライフ」で褒められている)。しかも彼は自らをダーウィン主義者と名乗っているとは。このことはイデオロギーがこの分野にどのような影響を与えているのかをよく物語っている。自らを新ダーウィン主義と主張しなければならない。そして、考えがどうであれ、そうしなければ社会学的にも科学的にも死んでしまうのである・・・。

ここでコンウェイ・モリスは、惑星は常に太陽の周りを回っているが、地球は依然世界の中心にあるというモデルを打ち立てたティコ・ブラーエと同じ状況にいる。コペルニクスやガリレオとは異なり、ティコ・ブラーエのシステムは決して有罪宣告を受けることはなかった。その普及により、確かに多くの精神が開かれ、宇宙に関するわれわれの考え方は発展することになった。それで、今日、進化におけるティコ・ブラーエの役を・・・ガリレオの到着を待ちながら演じているかもしれないコンウェイ・モリスの思想が重要になるのである!



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