mercredi 3 mars 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (9)

(photo source: Steve Paulson's article)


スチュアート・カウフマン(サンタフェ研究所の生物学者で数学者)は、自己組織化を唱える別の学派に属する。彼を見ると、進化そのものの漸進主義(これは次の章で見るように、私には守ることができないように思われるが)ではなく、進化に関する立場における漸進主義の存在が齎す問題が明らかになってくる。彼が弱い非ダーウィン主義者なのか、非常に弱いダーウィン主義者なのかはっきり言うことができないのだ。しかし、彼の立場には根本的にダーウィン主義から離れている側面がある。

「ダーウィン以来、われわれは自然選択というひとつの力に向かった。・・・それなしには、一貫性のない無秩序以外の何ものでもないものしかない存在しないとわれわれは考える。私はこの本で、その考えが間違いであることを論証したい。これから見るように、秩序は偶然の出来事ではなく、自然発生的秩序という大きな『鉱脈』が存在することを複雑性と創発の科学が示唆している。・・・この自然発生的秩序の広がりは、われわれが考えていたよりもはるかに大きい。・・・自然発生的秩序の存在は、ダーウィン以来生物学において確立された概念に対する素晴らしい挑戦である。・・・もしそれが正しいとすると、どのようなダーウィン的世界観の改訂が待ち受けているのだろうか。われわれは偶然の出来事ではない。予期されていたのだ。しかし、ダーウィン主義の概念の改訂は容易ではないだろう。生物学者は選択と自己組織化を結びつける進化の過程を研究するための概念的枠組みを何も持っていないのである。どのようにして自然発生的秩序をすでに持っているシステムに対して選択が働くのだろうか」

「われわれは予期されていた」という表現は、間違ってはいけない。カウフマンは目的論者ではなく、コンウェイ・モリスとは異なり、条件が多少とも同じであったとしても進化は繰り返すことはないと考えている。彼の言いたいことは、自然の法則が、偶然の変異以外のすべての自然の『基礎となる物質』を自然選択に与える、複雑な秩序の階層を自然発生的に出現させるということである。これらの秩序は自然の法則に根を張っているので、われわれが「宇宙の中のわが家」にいることを新たに感じることができ、彼によるとダーウィン主義は世界からすべての意味を取り除いた。「楽園は罪によってではなく科学によって失われた」のである。


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