samedi 17 janvier 2009

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (2)

1. ダーウィニズム

ダーウィニズムは偶然に基づく変異によって進化が起こり、変異を持った個体が自然選択で選択されると考える。以下にダーウィン理論をまとめる。

● ある種に属する大部分の個体は、子孫に遺伝する細かな違いを持っている(今日では遺伝子の変異によるとされるが、ダーウィンはこのことは知らなかった。この点については、ネオ・ダーウィニズムが特に遺伝学の成果とダーウィンの考えの統合を図っている)
● これらの変異のいくつかのものは、それを持っていると有利に作用する
● すべての種は手にすることのできる資源に限りがある現実に向き合わうことになる(ダーウィンはマルサスの考えに霊感を得た)
● 有利な変異を持つ個体はその生存が容易になる。統計的には、彼らはより多くの子孫を持つことになり、時間が経つとその種のすべてが彼らの子孫になる。自然選択において有利な資質を持たない個体の子孫は消滅する。
● もし環境が激変した場合、新たな環境で生存できる変異を持つ個体が有利になり、直ちにその時点で「正常」とされる個体に取って変わる(この場合、自然選択の圧力が非常に強いと言う)。

このように、ダーウィニズムは進化が偶然によるとするのではなく、偶然と自然選択とをつなぎ合わせることにより進化が可能になると考える理論である。それゆえ、ダーウィンの著書の原題にもあるように、「自然選択による」進化論なのである。ダーウィンにとって自然選択は非常に重要で、「私の神」とまで言うことのできるものであった。進化を可能にしているのが、このデウス・エクス・マキナdeus ex machina” (機械仕掛けの神)なのである。

進化はゲノムで偶然に起こる変異だけによるものではないが、ダーウィニズムにとっての進化は目的のない盲目的で偶発的な過程に過ぎなくなる。なぜなら、それは変異と環境の変化という二つの不確実な現象の遭遇の結果だからである。

しかし、ダーウィニズムの中にはいくつかの異なった考え方がある。
自然は飛躍をしないと考える漸進主義者(gradualiste)と目に見える変異による飛躍が存在するとする跳躍進化論者(saltationniste)。生体のほとんどすべての特徴がある明確な理由で選択されたとする適応主義者(adaptationniste)、さらに中立主義者(neutraliste)はいくつかの構造は偶然の産物であったり、選択を受けた別の構造の副産物であったりすると考える(ここでの中立主義は木村資生の中立説よりも広い意味で使っている)。また、社会生物学者(sociobiologiste)はわれわれの行動も含むすべてが遺伝子の中にあるとする。

ただ、しばしばこれらのグループが再編される。跳躍進化論者が中立主義者になって社会生物学者に反対したりするが、これを弱いダーウィニズムと呼びたい。反対に、漸進主義者はしばしば確信的な適応主義者であり、社会生物学の強力な戦友になる。これは強い意味でのダーウィニズムになる。

しかし、両陣営とも偶発的な現象の結果としての進化というダーウィニズムの基本的な帰結には同意するのである。スティーヴン・ジェイ・グールドStephen Jay Gould、1941年9月10日 - 2002年5月20日)はその著書、"Full House: The Spread of Excellence From Plato to Darwin" (邦題 「フルハウス 生命の全容 - 四割打者の絶滅と進化の逆説」)で次のように表現している。

「現代の多細胞生物が出現するまでの生命の映画をカンブリア紀の爆発時に巻き戻し、同じ出発点から映画を再上映した場合、進化により地上には全く異なった生物が溢れるだろう。人間にわずかでも似ている生物が現れる確率はほとんど零で、意識を持った生物が出現する可能性も極めて低いのである」。

ダーウィンの時代には遺伝学がなかったのでダーウィニズムではなく、ネオ・ダーウィニズムに語らせなければならない。しかし、専門外ではこの両者が混同されているので、本書では同じものとして扱う。

2. 弱い非ダーウィン主義者

ここで使っている「弱い」とか「強い」という形容詞には価値判断は入っていない。直接的な繋がりはないが、人間の信条の強弱と類似するものである。この立場に立つ科学者は、自然選択と変異を進化のモーターであると考えている。しかし、もし進化の過程を繰り返すとした場合には、今地上にある生物が再び現れ、意識を持った生物についてもわれわれと同じとは言わないが、似たようなものがほとんど常に現れると考える。それは異なる過程を経るにしても最終的には同じところに辿り着くように進化を導く偶然に制限を加えることによる。これはダーウィン主義者にとっては異端であり、冒涜でさえある。彼らはダーウィン主義者を名乗るが、これが彼らを非ダーウィン主義者に分類した理由である。

3. 強い非ダーウィン主義者

彼らは偶然や自然選択だけが進化を誘導するものではないと考えている。「非ダーウィン主義的進化生物学」と呼ばれる学派を形成し、さらに2つに分けられる。

a. 自己組織化 (L'auto-organisation)

この学派は、秩序はある法則に基づいてカオスから生まれるとする。究極の目的はなく、進化が予測可能でもない。自然の法則により秩序が自然に生まれる。したがって、ダーウィンの自然選択はバイオスフィアにある一つの部分しか説明できていない。完全な説明のためには選択と自己組織化を同時に取り入れなければならない。この学派の中で、自己組織化を第一に考える人は強い意味での非ダーウィン主義者で、自己組織化と選択を同等に扱う人は弱い意味での非ダーウィン主義者ということになる。

進化論者を強いダーウィン主義者から強い非ダーウィン主義者に分類すると以下のようになるだろう。

Dawkins → Dennet → Gould → Kauffman → de Duve → Conway-Morris → Denton → Dambricourt → Chauvin

それぞれの境界は人工的なもので、ある人が弱いダーウィン主義者なのか弱い非ダーウィン主義者なのかを知ることは難しい場合がある。

b. 内的論理 (Logiques internes) と誘導される複合突然変異 (macromutations canalisées)

この分類には、生命の進化の最終目的に関与するか否かにかかわらず内的論理が存在すると考える人たちと、進化はプログラムされているのである目的が存在すると考える人たちがいる。

● 内的論理

この考えの持ち主は、プログラムとか進化を導く外的な力などを持ちだすことはない。ただ、胚の成長に関して内的な過程が存在し、それによって進化が予測可能になっていると考える。

● 誘導される複合突然変異

この範疇に入る人たちは、小突然変異(micromutation)はダーウィンのメカニズムに従うが、複合突然変異は偶然ではなく、まだ発見されていない法則によって制御されているとする。彼らにとって、この複合突然変異は常に漸進的ではなく、しばしば飛躍を伴う。したがって、すべてが偶然によるのではなく、複合突然変異が何かによって誘導されなければならない。

4. ネオ・ラマルク主義者

ラマルキズムは獲得形質は遺伝するという考えに基づいていた。有名な例によれば、もしキリンができるだけ高いところにある木の葉を食べるために首を長くしたとするならば、その仔は首がもと長くなるだろう。しかし、進化はそのようには作用しないことがわかっている。

しかし、ここ15年以来、遺伝情報が DNA → RNA → 蛋白 という方向だけで伝わるとする分子生物の中心ドグマにひびが入る研究成果が出ている。それは逆転写酵素があり、例えばエイズウィルスが RNA → DNA への反応を触媒するのに使用するだけではなく、このような変異が生物の生存に必要な場合にはしばしばみられることが明らかにされている。したがって、この変化はいつも偶然によるものではないことを示している。他の研究では、免疫系が獲得免疫を親から子に伝えることが示されている。

5. 量的進化

もしネオ・ダーウィニズムにおいて進化が中心的な役割を担っているとするならば、変異がないとすれば全く意味がなくなる。なぜならば、変異がなければ選択のしようがないからである。それでは変異とは何か。それは DNA の一塩基の置換である。分子レベルでの現象は、いくつかの原子、場合によっては素粒子に依存する。すでに見たように、原子と粒子の宇宙は、還元主義が強い分子生物学の世界とは概念上完全に異なっている。このように、物理学者が生物学者に対し、変異は量子レベルで起こる現象により影響される可能性を研究するように助言することが多くなっている。一般に生物学者はこの助言を軽蔑を持って拒絶する。しかし最近、この方向性で真剣に検討され、ここで語ることが可能になった(生命科学の専門家により指示されている立場であることだけを付け加えたい)。

6. インテリジェント・デザイン

この運動は基本的にはアメリカのもので、公式には「知性の表象の研究」が目的になっている。インテリジェント・デザインの擁護者は「還元不可能な複雑性」という概念を展開した。もしN個の異なる部分から成るある系が2つの部分を欠いた場合に機能せず、N-2個から成る系が既知の機能がない場合、それを還元不可能な程複雑だという。それは自然の過程からは形成されず、あるデザイナーが必要になる。

インテリジェント・デザインは宗教的要素は全くない科学運動だと主張している。実際には、進化論者、種々の創造論者、不可知論者を集め、創造論に変わるものを提供することを目的にしている。しばしば創造論者の自作自演 (faux-nez) だと考えられている。しかし、これから見るように、現実はもう少し複雑である。

7. 創造論者


ここでも言葉が誤解を招く。最も強いダーウィン主義者を含むすべての信仰を持つ科学者は「創造論者」であることは言うまでもない。なぜなら、彼らは宇宙の始まりには創造主がいたと信じているからである。生命科学でいう創造論者とは生物が共通の祖先を持っておらず、それぞれの種が別々に創られたと考えている人を指している。この原則を曲げるのは知的に非常に不誠実なことである。

創造論者は2つに分けられる。

●古い地球の創造論者: 天文学や地質学の研究成果を受け入れて地球の歴史は認めるが、系統樹を辿ると猿や魚があることを認めようとしない。
●若い地球の創造論者: これが大多数を占めるが、彼らは聖書の創世記を厳密に解釈することに固執し、天文学や地質学の成果、並びにすべての異なる方法で得られた地球の歴史を拒否する。地球は1万年以上の歴史を持つことはありえないと考えている。

創造論者は特にアメリカで導入され、そこからアングロサクソンのいくつかの国(オーストラリアやスイス)に展開された。大半はプロテスタントだが、イスラム教徒やカトリック教徒、ユダヤ教徒も含まれる。

他のすべての考え方とは反対に、私の知る限り生命科学者で創造論者である人は一人もいない。これは科学にとって誇るべきことである。もし明日にでも創造論を証明する実験のために100万ユーロを提供するとしても、CNRSやINSERM (あるいは相当する外国の組織)のポストを持つ生命科学者、あるいは主要大学の教授で名乗り出る者は一人もいないだろう。同様のことを非ダーウィニズム進化論についてやった場合には、10人ほどの候補者が出るだろう。すべての違いがここにある。

しかし、このことが創造論者が少ないということを意味しない。インターネットでは十数の創造論サイトがあり、生物学の教育を受けた100人単位の研究者が意見を発表している。しかし、彼らは創造論の雑誌に発表したり、創造論の研究所で働いている謂わば閉じた世界に生きている。そのことを理解した上で、進化の原因についての論争の主役を何人か取り上げてみたい。

ここではそれぞれの考えについて2-3人しか取り上げない。しかもその長さもまちまちになるので、主観的であることは免れない。