dimanche 16 mai 2010

第IV部 われわれはここに偶然いるのか? 10章 進化論の発展 (14)

ロジーヌ・チャンドボアは、生物の発生はDNAにコードされていないと考えている。彼女は発生学者として、設計者は卵子の細胞質で、DNAは彼女の喩えによると木やコンクリートなどの建築に使われる材料を決めているに過ぎないことを示す実験を指摘した。

これらの概念は分子生物学の全能性に逆らう戦いと言えるもので、アンドラス・パルディ(Andras Paldi)のような若手研究者の研究にその確証を見ることになった。彼はこう言っている。「次の遺伝学の革命で問題になるのは、生物の生化学的反応の途轍もない複雑さに占めるDNAの場所を新たに与えることである。生命の進行を支配する独裁者としてDNAをあがめ奉ることは最早ないだろう。・・・私は遺伝学の発展の最後の段階に来ていると信じている。それは20世紀初頭に始まり、全能の遺伝子という主要な概念により特徴づけられる。その概念によれば、遺伝子は生物の発生に必要にして十分な情報を持っているとされるが、この説明の図式では観察される遺伝現象を次第に説明できなくなっていると皆気付いている」。同時に彼は「導かれた」偶然についても語っている。

ロジーヌ・チャンドボアにとっての進化とは、原始細胞から複雑な生物に至る胎発生のイメージに沿うように始めから展開されるプログラムである。「発生の遺伝プログラムは生物学者全体の想像の中にだけ存在する。・・・彼らのすべての研究は同じ結論に至る。すなわち、発生のプログラムはDNAに書かれていない、というものだ。それは卵子の細胞質に含まれており、特定の分子組成と適切な構造を持たなければならない。換言すれば、DNAは何ものにも指令を出すことはないし、もちろん設計者ではない。しかし、構造のための材料を作るので、生物に独創性を与える。・・・生命の樹は、木がもっぱら内的因子を介して、種子から作られるのと同じように原始細胞から作られた」。

彼女はこの点でマイケル・デントンとレミー・ショーヴァンと似ているように見える。しかし、違いがあるのは、彼女が進化に内在するプログラムは卵子の細胞質に作用する内的因子によると考えている事実である。もちろん、これらの考えは極端であるが、遺伝子よりはエピジェネティックの役割を強調する現在の傾向は、これが非論理的だとは言えないことを示している。


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